花柳界雑学

その①お座敷遊び その遊びとは・・・。

芸者衆とお座敷で何をする?

 

お座敷遊びと聞いても、ピンと来ない方も多いかと思います。

ココでは一般的なお座敷での遊びをご紹介したいと思います。

こちらで紹介する遊びはほんの一例です。

 

是非これを見て覚えて、実際にお座敷で芸者(芸舞妓)さんと楽しんで頂けたらと思います。

金比羅船々 (こんぴらふねふね)

ルール

 

向かい合った二人の間にビールの袴などを置き、唄、三味線に合わせて交互に袴に手の平を載せては引っ込める。袴の上に手を載せたとき、袴を掴んで取っても良い。取ったときは次に戻す。台の上に徳利の袴が有るときは手を開き、無いときは握らなければならない。

次第に早くなっていく唄にあわせて交互に取ったり取られたり、取ると見せかけて取らなかったりと繰り返し、音楽を次第に早めていき、どちらかが間違えるまで行う。

手の平を出し間違えた方が負け。

ユーチューブ動画、赤坂花柳界ににて行われたお座敷遊びより。

幇間の七好さんが説明しているので分かりやすいと思います。

トラトラ (和藤内、虎拳)

ルール

 

衝立(ついたて)や屏風(びょうぶ)等を挟んで二人が立ち、ジャンケンの様なことをする遊び。

普通のジャンケンと違うのは踊りながら、拳を出すところ。

「虎」を四つん這い、「母」を杖を突くジェスチャー、「和藤内」は槍を突き出すポーズで表現する。虎は母に勝ち、母は和藤内に勝ち、和藤内は虎に勝つ。

近松の傑作『国姓爺合戦』から採ったお座敷あそび。

ユーチューブより 赤坂花柳界お座敷あそびより。

こちらも詳しく解説されています。

浅草の芸者衆によるトラ拳の説明・・・。

司会 聖子 

実演 あづは すず柳

和藤内

 ♪ 千里あるよな 藪の中を どなたも 覗いてごろおじませ
    金の鉢巻 ダスキで 和藤内が 
    エンヤラヤと 捕らえしけだものは トラトラ トーラトラ

 ♪ 挑みかかりし 大トラの お札の御威徳 お伊勢さま 
    母が信心のおかげで 和藤内が 
    エンヤラヤと 捕らえしけだものは トラトラ トーラトラ

 ♪ 二日酔い酔い 酔いつぶれ なむからたんのう トラヤーヤー
    寝ぼけとぼけの 和藤内が 
    エンヤラヤと 捕らえしけだものは トラトラ トーラトラ  

 

野球拳 

ジャンケンで負けたら、自分の着ているものを一枚脱ぐという、お色気ゲームとして皆さんご存知かと思いますが、本来は愛媛県松山市に伝わる郷土芸能、宴会芸であります。

 

三味線と太鼓の伴奏に合わせて歌い踊り、 歌の終盤で「よよいのよい!」の掛け声に合わせてジャンケンの手を出す。

ユーチューブより、本場松山の芸妓さんが紹介しています。

 

 

 

以上三つの代表的なお座敷あそびをご紹介しました。

 

お座敷で、お料理やお酒を楽しみながら、芸者(芸妓・舞妓)さんと楽しいひと時を過ごしてみては如何でしょうか。ゲームをするときは我を忘れて熱中するのが大事です。

幇間を知る

その②幇間・太鼓持ちとは・・・・。

 

幇間(ほうかん、たいこもち)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げ演出する職業。歴史的には男性の職業である。

 

幇間は元禄の頃(1688年 - 1704年)に始まり、揚代を得て職業的に確立するのは、宝暦(1751年 - 1764年)の頃とされる。

 

江戸時代では吉原の幇間を一流としていたと伝えられる。

 

現在では東京に数名、関西には1名しかおらず絶滅寸前の職業とまで言われ、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」が失伝されつつある。

 

古典落語では江戸・上方を問わず多くの噺に登場し、その雰囲気をうかがい知ることができる。台東区浅草にある浅草寺の本坊伝法院には1963年に建立された幇間塚がある。

 

幇間の第一人者としては注1悠玄亭玉介が挙げられる。男性の職業として「らしくない仕事」の代名詞とされた時代もあった。

 

正式な「たいこ」は師匠について、芸名を貰い、住み込みで、師匠の身の回りの世話や雑用をこなしながら芸を磨く。通常は5~6年の修業を勤め、お礼奉公を一年で、正式な幇間となる。師匠は芸者置屋などを経営していることが多いが、芸者との恋愛は厳禁である。

 

もっとも、披露も終わり、一人前の幇間と認められれば、芸者と所帯を持つことも許された。 芸者と同じように、芸者置屋に所属している。服装は、見栄の商売であるから、着流しの絹の柔らか物に、真夏でも羽織を着て、白足袋に雪駄、扇子をぱちぱち鳴らしながら、旦那に取り巻いた。

 

一方、正式な師匠に付かず、放蕩の果てに、見よう見まねの素人芸で、身過ぎ世過ぎを行っていた者を「野だいこ」という。 これは正式な芸人ではないが、「師匠」と呼ばれることも多かった。

 

幇間は芸人の中でも、とりわけ難しい職業で、「バカをメッキした利口」でないと、務まらないといわれる。 噺家が舞台を「高座」と云うのに対して、幇間はお座敷を「修羅場」と云うほどである。

(出展 ウィキペディア

 

注1

故 悠玄亭玉介 師匠

(ゆうげんてい たますけ、1907年5月11日 - 1994年5月4日)は、

大正、昭和、平成をまたにかけて活躍した幇間芸人である。

1994年5月肝硬変により死去した。86歳没。

 

十八番は「たいこ屏風」や、「どうぞ叶えて」などの踊り、他多数であった。著書に「たいこもち玉介一代」ビデオには「お座敷あそび」がある。

 

 

 

『たいこ持ちは、バカのメッキをした利口ものでないとなれない職業なんでございます。』
書籍に吉原で五十年以上も「たいこ持ち、幇間(ほうかん)」をしてきた桜川忠七さんの一代記があります。その中の名言です・・・。

「たいこ持ち」の起源は、太閤秀吉の側にいた曽呂利新左衛門という方という説があります。秀吉の機嫌が悪いときには、すぐに新左さんが、面白おかしく軽口をたたいて、「太閤いかがで、太閤いかがで、」と、ご機嫌をとり結ぶという工合だったそうです。そこから、ご機嫌とりの上手なのをたいこ持ちというようになったとされています。
実際には、狂言や田楽能にも「たいこ持ち」という言葉がでてくるらしいので、それよりも以前に祇園あたりで起こったのではと、忠七さんは本に書いています。
お座敷遊びと結びついたのは江戸の初期、お大尽が吉原で豪遊するときに連れて歩くようになってからで、たいこ持ちが出る前以前は、お角力さん、能のワキ師とか、髪結いさんを連れていたそうですあります。

『たいこ持ちは、たとえ芸はまずくとも、客のとりなしさえよければいいといわれますが、それはまた逆に、たいこ持ちが、いちばん苦心するのは、客のとりなしだということかも知れません。』
『お客さんが白といえば、たとい黒であっても白といわなくてはなりません。』

お客さんには決して逆らえない「たいこ持ち」、お客さんからの無理難題に振り回される。

落語に「たいこ持ち」が登場する演目がいくつもありますが、事実それを地で行っているんですね。

『たいこもち』 桜川忠七

 

書名: たいこもち
著者: 桜川忠七
発行年: 昭和34年(1959)
出版社: 朱雀社
序文: 川口松太郎
カット: 花柳章太郎
装幀: 岡村夫二

 

上記書籍の一節より・・・・。

写真は、吉原にある弁財天の玉垣・・・。

玉垣には、かつて吉原で活躍した幇間連中の名が刻まれています。

現在活躍中の幇間連中

 

悠玄亭玉八

 

 

1945年 東京都生まれ

1978年 新内、粋曲の柳家紫朝師に師事し、音曲の修業。

1967年 新劇の東京芸術座に所属し、演劇公演やマスコミで活躍。 同時に、お座敷芸の第一人者悠玄亭玉介師の一門となる。悠玄亭玉八の芸名を戴き、浅草見番に登録。

 

 

 

桜川米七

 

さくらがわ よねしち1950年生まれ。

1971年、落語家柳家小さん師に入門。

1975年、悠玄亭玉介師に入門。

1985年、桜川米七襲名。浅草見番所属。

桜川七好

 

さくらがわしちこう 

北海道室蘭市出身 1952年4月17日生まれ

S40劇団 展望入団

S53    展望退団

S53劇団 民衆舞台入団

S57    民衆舞台退団 以後フリーで他劇団客演

H5悠玄亭玉介一門である櫻川米七に弟子入り

H6東京浅草見番よりおひろめ

桜川七助

 

さくらがわしちすけ

1965年東京生まれ。19歳のときに、男性5人のグループ「KIDS」で演歌・ポップス歌手としてデビュー。CM・ミュージカル・ドラマなどにも出演。
その後、グラフィックデザイナーとして会社勤めを経験。
'95年、幇間・櫻川米七師匠へ弟子入り、'97年に七助を襲名する。

 

そのほかに、桜川九助、桜川七太郎(女幇間)と続く・・・・。

いずれの幇間も、東京浅草組合に籍を置く。

 

 

 

 

 

二挺鼓 (吉原芸者の秘芸)

 

 

二挺鼓という言葉を皆さん聞いたことはありますか?

二挺鼓とは、二挺の鼓を一人で打ち分け演奏する事です。

どの様な形で演奏するかと言いますと、小鼓を肩にそして大鼓(おおつづみ)を膝(ひざ)で支えて打ち分けるのです。一人で大鼓と小鼓二役こなす事になります。

 

 

 

 

(写真は吉原芸者、半玉によるお座付芸 昭和32年 料亭松葉屋にて)

 

この「二挺鼓」の芸はそもそも江戸吉原から発祥した芸であります。

吉原芸者が継承してきた秘芸と言われ、門外不出の芸でもありました。

 

しかし、その歴史と言いますか詳しい史実はなかなか調べても出てこないのが実情ですが、現在もこの芸を受け継いでいる「元吉原芸者」が二名実在しています。

 

そのうちのお一人、「二三松」姐さんにこの二挺鼓の芸に関して質問をしたことがあります。

木更津花柳界でも二挺鼓を披露されている様なので何かご存じの事がありますか?と質問させて頂きました。

 

二三松姐さん:そもそも吉原だけの芸とされてきた「二挺鼓」の芸ですが、ある時期にこの芸が大いに流行して全国の花柳界で取り入れられたのではないでしょうか・・・。そしてその芸を継承してきた中で段々とその芸を受け継ぐ人が居なくなり、現在に至っているのかと思います。その中で木更津花柳界で今も二挺鼓の芸が残り披露されているのかと思いますよ。  

 

と、二三松姐さんからお話を伺いました。

 

 

木更津の花柳界で

今も続いている「二挺鼓」のお座付芸・・・。

 

この様な伝統芸はいつまでも残さななければいけないと思います。

 

伝承させていく難しさもありますが、

消えてしまわない様にしたいものです。



(吉原芸妓連 半玉 左から 二三松、一松)昭和32年当時

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