日
18
12月
2011
補足説明:
絵本隅田川両岸一覧刊年は不明とされているが、葛飾北斎の壮年期(40~47歳)の作品と言われている。
その内容としては、当時流行である狂歌を扱った狂歌絵本となっており、絵は当時の隅田川周辺の風俗を表した作品。 上、中、下3冊に分かれており、計25作品が掲載されている。
この当時は 吉原には「獅子舞」というものは入らず、代わりにこの「狐舞(きつねまい)」というものがありました。それは一体どういうものか?・・・なぜ獅子舞ではなく「狐舞ひ」なのか。
ここからは個人的な推論と稲荷神社との関係を紐解きながら説明したいと思います。
「稲荷」とは
本来五穀をつかさどる神であると言われ、倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)の事をさします。
江戸時代に入り、稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めると共に、稲荷狐が稲荷神という誤解が一般に広がった。 またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。 また仏教系の神である荼枳尼天は金狐・銀狐(きんこ・ぎんこ)という眷属を持ち、稲荷神と同一視される原因となったが、正確には稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である。
稲荷神社の前には狛犬の代わりに宝玉をくわえた狐の像が置かれる例が多い。他の祭神とは違い稲荷神には神酒・赤飯の他に狐の好物といわれる油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を稲荷と称するようになった。
出展元 ウィキペディア 稲荷神
以上の事を踏まえて考えていくと、吉原の四隅に祀られていた4つのお稲荷さんと関係が深いと考えられます。商売繁盛の神の使いとして取り入れられたのではないかと思います。
(12月21日加筆)
吉原の狐舞ひ とは・・・。
吉原の狐舞ひ(きつねまい)
狐の面を被り、両手に御幣、又は御幣と鈴を持って舞い鳥目(=穴あき銭)を受けた。
『絵本風俗往来』にも書かれ、吉原で大晦日に行われた行事である。
《其以前は知らず。新吉原に限り、年越大晦日に獅子舞は壱組もなく、狐の面をかぶり、幣と鈴を振り、笛太鼓の囃子にて舞こむ。是を吉原の狐舞とて、杵屋の長唄の中にも狐舞の文句をものせしあり。抱一上人が吉原十二ヶ月の画中又此の狐舞を十二月に画かれたり。狐は白面にして、赤熊の毛をかむり錦の衣類をつけたるまま、いとも美事なり。世間の不粋は、当所大晦日の狐舞を見しものなしとなり》
『絵本風俗往来』の一節より。
さて、前文でご紹介したのが、「吉原の狐舞ひ」であります。
歴史文献などに書かれている情報量はごく僅かなのですが、その史実に基づいて「吉原の狐舞ひ」を
吉原の地に復活させたいという願がありました。
実は同じ考えをされていた方が居り、偶然と言うか何かのご縁だと思っているのですが、実際に「吉原狐」として活動されていた方に巡り合えました。現代の連絡手段であるメールで問いかけましたところ、どうやら地元に住んで居られるとの事、これ自体不思議なご縁を感じた理由です。
お会いして、吉原狐として活動して行った経緯などを伺って行く内に、同じ思いである事が分かり、今後吉原の地を活動の拠点にと提案・・・・。細かい話はココまでとして、今後吉原狐舞ひを完全復活させるべく行動開始します。
もしかすると・・・・
今年の大晦日の夜、除夜の鐘の鳴り響く頃、吉原の地に「吉原の狐」が降臨するかも知れませんよ!!