東京の花柳界、東京の花街、東京六花街とも言いますがこのページでは東京の花柳界をご紹介してみたいと思います。
東京都内
新橋(銀座):安政4年(1857年)、現在の銀座8丁目付近で三味線の師匠が料理屋を開業したのが花街の誕生となる。明治、大正に最盛期を迎える。
赤坂:江戸期、溜池付近に岡場所の発生し明治に花街として成長する。主に官僚らが利用していた。
神楽坂(新宿):石畳の路地が残っており、風情があり最近では若い人たちにも人気の場所。
浅草:花街としての浅草は芳町同様、江戸期に発生し猿若町の芝居小屋付近の「猿若町芸者」、山谷堀周辺の「山谷堀の芸者」、浅草門前の「広小路芸者」が今日の花柳界を形成した。
芳町:江戸期、現在の中央区浜町付近に歌舞伎の芝居小屋が建ち、随時して陰間茶屋が誕生し、それが花街の原型となる。新劇の創始者川上音二郎の妻で日本で最初の女優、川上貞奴はこの花街の芸妓であった。
向島:花街は墨田区向島五丁目に位置する。向島では「宮様から畳屋様まで楽しめる」などと言われるように、下町風情に溢れ、堅苦しくなく遊べるところが評価されている。東京スカイツリー竣工を控え、注目される。
※以上の六つの地域の花街(かがい/(はなまちとも読むが花柳界では、かがいと読む)を、
東京六花街(とうきょうろくかがい)と言う...。
東京近郊
八王子:甲州街道の宿場町で、明治期に織物産業の町として栄えてきた八王子は東京郊外で唯一、花街が現存している。
厚木:厚木の芸者は、明治9(1876)年の「皇国地誌」には8人がいたと記され、戦前・戦後を通じて相模川のアユ漁などで 「花街」は繁栄した。
昭和35(1960)年には「30軒の料亭と36軒の芸者置き屋に84人」(神奈川新聞)とされ、同45(70)年には130人という 最盛期を誇っていた。 厚木飯山温泉に飯山芸妓置屋組合がある。
箱根:箱根湯本芸能組合がある。箱根には七湯(温泉町)があり、湯元の見番から出向いていく、隣接する小田原も出先。
※箱根が湯治場として栄えたのは江戸時代に入ってからと言われている。
湯元、塔ノ沢、宮ノ下、堂ヶ島、底倉、木賀、芦の湯を合わせて箱根七湯と言われている。
上記に掲載した花街が現存している場所、最近では八王子花柳界もあわせて東京の花柳界とも言われています。しかし、ざ・花柳界ではそれ以外にも厚木・箱根も東京近郊の花柳界として居えると考えそ合わせて記載しています。
都内や近郊に現存している花柳界・花街文化の灯を絶やさないためにも多くの方に知って頂き、その文化の伝承と保存を進めなければなりません。
此処にあげた花柳界や全国の花柳界は文章に表せないほどの歴史や背景があります。
昔風に言えば、各花柳界ごとに格という序列が重んじられていましたが、今の時代そのようなことを重んじていたら花柳界全体が消えてしまいます。
和文化を趣味とし、語るならば「花柳界」の世界を知り、是非大いに利用して欲しいと思います。
奥の深い世界、花柳界・・・非日常的な世界を楽しんで下さい。
参考 出典 ウィキペディア
2011年9月12日加筆