★シリーズでご紹介して行く「ぶらり散策」★
■花柳界の歴史を紐解き、街歩きを楽しみながら花柳界の痕跡を訪ねます。
第一回目、東京都中央区にある人形町(芳町)周辺をぶらり散策してきました。
東京芳町組合周辺からのスタートです。
芳町は、昭和51年(1976年)町名改正でその名は消え、現在は日本橋人形町1~3丁目になっている。
葭町花街の歴史は、江戸幕府公認の最初の遊郭、葭原(後に吉原と変わる)との深いかかわりがある。
庄司甚右衛門が、あちこちの娼家を一箇所に集約し管理すれば、取り締まりも合理的であると幕府に進言。これが通り、日本橋東方の一角に葭や葦が生茂っている沼地を埋め立てし、周囲には堀を巡らせ遊里を誕生さた。
明暦の大火で消失し、※1浅草方面 へ移転するまで40年間が元吉原の時代であった。(※1:新吉原のことで、現在の台東区千束)
吉原誕生~の歴史は此処では割愛させて頂く・・・。
明治十六年刊「東京妓情」と言う書物に、今で言うランキングがあり、
一等が新橋・柳橋、二等が数寄屋橋・芳町と出ている。
明治二十三年では、芸妓百八十四人、お酌八十三人と段々と大所帯に・・・・。
明治二十五年、浅草の十二階(稜雲閣)で東都百美人に芳町芸者十二名が選ばれたそうであります。(こちらのブログに詳しく出ています。)
明治~大正~昭和~終戦を迎え・・オイルショックとともに衰退がはじまる。
現代・・・平成十二年(2000年)わずか十一人になり、現在は十六人。
お出先の料亭も「濱田家」一軒のみと・・・。
昭和三年当時、(人形町2-22)に見番は建てられた。
木造三階建ての立派な構えで、「新屋敷」とも称されたそうです。
戦災で消失後、昭和二十三年檜作りの二階建ての見番が再建された。
現在は料亭「濱田家」の目の前のビル三田ビル内に東京芳町組合/見番がある。
今も芳町花柳界として芸者衆は頑張っています。
こちらが、料亭「濱田家」です。
『玄冶店 濱田家』は、大正元年、料亭として東京日本橋人形町、玄冶店跡地にて創業、その後現住所に移転。
九十余年に渡り、日本料理の歴史と伝統を守り続けています。
ぶらり散策をしていると色々な発見などがあります。
人形町界隈は老舗、名店が多く有名なスポットも数多い。
甘酒横丁などもその一つです。
そして歴史探訪が好きな方々にはたまらない場所とも言えます。
「玄冶店」の地名は、江戸時代、ここの医者岡本玄冶(1587年~1645年)が住んだことに由来、歌舞伎「与話情浮名横櫛」の舞台となった。
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歌舞伎の「お富さん」といえば有名な、与三郎とお富の恋物語であります。 奇しくも助かった二人が再開する名シーンが玄冶店(源氏店) 「しがねぇ恋の情が仇……」の台詞が有名。
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玄治店そばにある老舗「うぶけや」さん。
産毛を抜く、毛抜き等を扱う刃物店で有名です。
大観音寺そばにある「芸者新道」
この空間はまるで京都に居るかのような風情があって、まったりとした空気が流れていました。
周辺には当時を忍ばせるような木造建築が数多くあります。
今回の「ぶらり散策」芳町編 如何でしたでしょうか?
是非人形町界隈にお出かけの際は、今回ご紹介した場所を巡ってみて下さい。
近くには明治座や、安産のお守りで有名な水天宮もあります。
お買い物やお食事にも困ることはありません。
花柳界に思いを馳せながらの散策も一興かと思います。
まだまだ沢山の写真がありますが、スペースの関係上紹介し切れません。
特集ページでスライドショーにしてご紹介する予定です。
ご感想などもお寄せください。